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オペラ、フィギュアを中心に、そのとき興味のあることがらを話題にしています。
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カテゴリ:フィギュアスケート( 1745 )

フィギュアを通して平成を振り返る⑨

平成23年(2011年)まで話が進みました。ここまで、基本的に五輪ごとに進んできているので、今回は平成26年(2014年)のソチ五輪をめざして、浅田真央選手をメインに書いてみたいと思います。

浅田真央選手が一躍注目を集めたのは、平成17年(2005年)、トリノ五輪シーズンのGPファイナルでした。シニアに上がってきたばかりの15歳の少女がトリプルアクセルを決め、女王イリーナ・スルツカヤを抑えて優勝。あっという間に国民的なスターになりました。年齢制限のためにトリノ五輪に出られないということも話題になりましたよね。

私はというと、このシーズンも、その次のシーズンも、まだそれほど彼女に関心を持っていませんでした。ぴょんぴょん跳びはねている元気なスケーター。そんな感じの捉え方をしていました。それが、シニア3年目に入って一転。そのシーズンのSP「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」が素敵で、「こんなに魅力的な表現のできる選手だったのか」と初めて気づかされました。

この時期のプログラムでいうと、エキシビションで滑った「ソー・ディープ・イズ・ザ・ナイト」「ポル・ウナ・カベサ」などもよかったです。2008-09シーズンのSP「月の光」も、彼女の美しさを際立たせるプログラムでした。

浅田選手のことを語るとき、どうしても避けて通れないのがキム・ヨナ選手の存在です。特に、バンクーバー五輪までの4年間は何かと対決をあおられ、ファンとしても心穏やかでいられないことがしばしばでした。これが欧米の選手だったら、あそこまで神経をすり減らすことはなかったと思うのですが…。

バンクーバー五輪では、フリーのミスもあり、浅田選手は銀メダルという結果になりました。ただ、あのミスがなくても、恐らくキム・ヨナ選手が勝っていただろうと思うと、いまだにやるせない気持ちになります。

その後、ソチ五輪に向けて、浅田選手はジャンプの矯正に取り組み始めました。自分を見失うことなく、地に足をつけてフィギュアに取り組む姿勢に、こちらも背筋が伸びる思いでした。その場その場の勝ち負けに一喜一憂するより、今はもっと大局的な視野を持ち、見守ろう…というより、こちらも成長しなくては、そう思いました。

最初のシーズンこそ試合では苦労していましたが(8位に終わったNHK杯、「豊の部屋」で樋口豊先生が泣き出されたこともありましたっけ)、少しずつ結果につながるようになり、ソチ五輪シーズンを迎えたときには「今度こそ、きっと」と信じられるようになっていました。けれど、ソチ五輪の結果は…。

あのような展開をいったい誰が予想できたでしょうか。ソチ五輪の浅田選手は、SPでミスが出て、まさかの16位。フリーは第2グループでの滑走となりました。私としては、フリーの日は仮眠を取り、第3グループに間に合うように起きるつもりでいました。どうしよう、第2グループに合わせて起きようか、それとも…。第2グループでは時間的にきつかったし、そんな滑走順で演技する彼女を見るのが怖くて、ずいぶん迷いました。

でも、リアルタイムで観戦してよかった。見ていなかったら、きっと後悔することになったと思います。あの演技。トリプルアクセルを含め、計8回の3回転ジャンプに成功。今でもあの演技がテレビで流れ、「すべて降りた!」という西岡アナの実況を聞くたびに、胸が熱くなります。

結局、浅田真央という選手は五輪の金メダルには縁がありませんでした。けれど、金メダルを取るよりももっと大きな感動を私たちに与えてくれたのだと思います。ありがとうございました--彼女にはやはりこの言葉を贈りたいです。
(続く)

※次はきりよく10回目なので、あと1回だけ書きたいと思います。
by noma-igarashi | 2019-05-17 23:53 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(2)

フィギュアを通して平成を振り返る⑧

なんか、トリノからバンクーバー五輪までの4年間のことを書いたら、燃え尽きちゃった感がありますが、この時点ではまだ平成22年(2010年)。「フィギュアスケートを通して平静を振り返る」というタイトルですから、もう少し書いていきたいと思います。

こうして振り返ってみると、日本でのフィギュアスケート人気は、アルベールビル五輪(平成最初の冬季五輪)の伊藤みどり選手に始まり、平成の30年間を通して盛り上がっていったことがよくわかりますね。アルベールビルからトリノまで、少し空白期間があったようにも見えるかもしれませんが、私のように、アルベールビルをきっかけにフィギュアへの興味をつないでいった人もいるでしょうし、伊藤みどり選手にあこがれてフィギュアを始めた子たちもいるでしょう。

それに、日本スケート連盟が若手選手を育成するべく、野辺山合宿(全国有望新人発掘合宿)を開くようになったのも、アルベール五輪での伊藤みどり選手の活躍(と苦労)が背景にあったからだと聞きました。伊藤みどり選手はたった1人で世界の選手に立ち向かっていったから、それだけプレッシャーも大きかった。大勢の有望選手を育成すれば、プレッシャーが分散されることで、いい結果につながりやすいだろうと。

実際、物事はそのように進んでいきましたよね。日本でフィギュアの人気がいっきに高まったのは、トリノ五輪シーズン、浅田真央選手のファイナル優勝が大きかったけれど、浅田選手は年齢制限でトリノ五輪に出られず。その代わりに、野辺山合宿の1期生だった荒川静香選手が金メダルを獲得し、フィギュア人気を確実にバンクーバー五輪へとつないでくれました。

荒川静香選手は同世代に村主章枝選手がいたし、それ以降の選手たちにも、同じ時期に活躍する好敵手が国内にいました。浅田真央選手には安藤美姫選手がいたし、高橋大輔選手には織田信成選手がいました。羽生結弦選手は、ソチ五輪のころまでが高橋大輔選手、それ以降は宇野昌磨選手かな? 互いに競い合い、高め合っていける存在が身近にいたことは、選手にとっても貴重だったと思うし、フィギュア全体としても、1人の選手の人気に頼るのではなく、強い選手が大勢いる魅力的なスポーツとして、人気が定着していく原動力になったと思います。

こんなふうに、国内に複数の有望選手がいてよかったなと思うことはたくさんありますが、「平成を振り返る」というテーマでぜひ挙げておきたいのが、平成23年(2011年)の世界選手権で安藤美姫選手が二度目の優勝を果たしたことです。ご存じのように、このシーズンの世界選手権は東京・代々木体育館で開かれる予定でした。しかし、大会を間近に控えた3月11日、東日本大震災が勃発。それによって原発事故が起こり、東京大会は中止を余儀なくされました。そして、1か月後にロシアのモスクワで代替試合が開催。

このシーズン、浅田真央選手はジャンプの矯正に取り組んでおり、世界選手権で優勝するのは厳しそうな状態でした。そして、実際にも6位どまり。村上佳菜子選手はシニア1年目で、健闘したものの8位。

一方、男子は高橋大輔選手がディフェンディングチャンピオンで、調子も悪くなかったですが、世界選手権の開催が1か月延期になったことでスケート靴の調整がうまくいかず、演技中に靴のアクシデントが発生。そのせいで、残念ながら5位。織田信成選手は6位。いちばん活躍したのが小塚崇彦選手でしたが、パトリック・チャン選手の初優勝を阻むことまではできず、2位(ちなみに、羽生結弦選手はまだシニア1年目で、代表入りを果たせず)。

そんな日本の選手の中にあって、キム・ヨナ選手やカロリーナ・コストナー選手を抑え、実に4年ぶりの優勝を果たしたのが安藤美姫選手でした。東日本大震災、そして原発事故のショックからまだ立ち直り切れていない中、中止になった日本大会の代替試合で、日本の選手が優勝。しみじみとうれしく思いました。

1人がだめでも、誰かが活躍してくれる。日本勢に有力選手がひしめくようになったことで、そういう試合は枚挙にいとまがなくなりましたが、そんな中でも、あのときの世界選手権は忘れられない試合のひとつです。

平成が令和に代わるとき、「平成は戦争のない、いい時代だった」というような声をよく耳にしました。確かに日本国内で戦争はなかったけれど、阪神大震災(平成7年)、東日本大震災(平成23年)という大きな災害が二度もありました。特に東日本大震災では、東京電力福島第一原子力発電所の事故まで起こりました。震災も原発事故も、自分が生きている間にそんなことが起きるとは思ってもみないような出来事でした。元号が変わったからといって、安易に忘れてはいけないと改めて思います。
(続く)
by noma-igarashi | 2019-05-12 22:40 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(2)

庄司理紗選手、「執事 西園寺の名推理2」に出演

見ましたよ~、テレ東「執事 西園寺の名推理2」。庄司理紗ちゃんがスケーター役で出演するというので、録画して、さっき見終わりました。スケートをする場面はともかく、演技なんてできるのかしら。セリフ、棒読みだったりして? …などと案じていたら、そういう設定でしたか。なるほど。理紗ちゃん演じるスケーター・井上美波の幼少期の母親役として、西田美和さんも出演していましたね。

見逃した方は、ネット配信も始まったようですよ。期間限定無料配信だそうです。
  →コチラ

(あらすじ)
西園寺一(上川隆也)は資産家の奥様・伊集院百合子(吉行和子)に仕えるパーフェクトな執事。百合子が目をかけているフィギュアスケーター・井上美波(庄司理紗)が週刊誌フリー記者の殺人未遂容疑をかけられ、行方不明に。美波の無実を信じ、心配する百合子のため、西園寺が華麗なスケーティングでアリバイを立証。過去の疑惑と共に、事件の真相を解明する! 


庄司理紗ちゃんといえば、ジュニア時代、全日本の最終グループで滑り、5位になったこともある選手。ただ、シニアに上がってからはなかなか結果を出せなくなり、2013-14シーズンを最後に、全日本にも進めなくなってしまいました。

でも、2017年までは東京ブロックに出場していたから(2018年は新横浜プリンスFSCの所属になったので関東ブロック)、毎年1回は現地観戦で演技を見ていました。久しぶりにWikipediaを覗いてみたところ、成績が13-14シーズンで止まっていたので、スケ連のサイトから東京ブロックと東日本選手権の結果を拾ってきて、「続きを読む」にまとめてみました。

続きを読む
by noma-igarashi | 2019-05-11 00:17 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)

フィギュアを通して平成を振り返る⑦

前回、トリノ五輪のことを書いたとき、当時はまだ高橋大輔選手のファンというわけではなかったと書きました。実際、そうだったんです。日本人だから応援する。そんな状態でした。しかし、その4年後のバンクーバー五輪のことを思うと…。

今になってみると、トリノ五輪からバンクーバー五輪までの4年間は、長野からソルトレークシティまで、あるいはソルトレークシティからトリノまでの4年間とは、まったく密度が違うものでした。自分のフィギュアファン歴を振り返る上で、いろんなことがぎゅうぎゅうに詰まった4年間だったことに、今さらながらに驚かされます。

ダイスケのことに絞って書くと、4年のうちの1年目は彼のファンになった年でした。忘れもしない、長野のNHK杯。フリーの冒頭できれいに4Tを降りた瞬間、ファンになりました。恋に落ちた、という感じでした。

その年のファイナルでは、前のシーズンから1つ順位を上げて銀メダル。全日本は文句なしの優勝。そして、東京体育館で開催された世界選手権。このときはSPもフリーも現地観戦しました。固唾をのんで見守る中、見事に銀メダル。それまで日本人男子の最高の成績は銅メダルだったから、ものすごいことに思えました。

2年目は、衝撃的な「ヒップホップ白鳥の湖」で幕を開けました。このプログラムを引っ提げて、文字通りトップ選手の仲間入り。GPSは2戦とも優勝(スケアメ、NHK杯)。ファイナルでも優勝できるんじゃないかと思ったけれど、僅差でランビに敗れ、惜しくも銀メダル。そう、前のシーズンまでは「銀メダルだなんてすごい!」という感覚だったのに、このシーズンは「惜しくも銀メダル」という受け止め方になったんですよね。

全日本は大阪まで見に行きました。織田選手が欠場していたこともあり、ぶっちぎりの優勝。年明けの四大陸では、当時の世界最高得点で優勝! もう大興奮。当然、世界選手権でも金メダルを期待してました。3位→2位ときたら前回2位だったんだから、今度は1位しかないでしょう。しかし、結果はまさかの4位。あのときの失望感といったら…。スケオタ仲間と慰め合い、励まし合って乗り切りました。

3年目、というより2年目のシーズンオフというべきでしょうか。5月に突然、モロゾフとの関係解消のニュース。驚いたし、ショックでした。大丈夫だろうか、一体どうするんだろうかと心配しながら出かけたDOI、そこで見た新SP「eye」の衝撃。モロゾフでは考えられなかった選曲、振付、世界観。「ヒップホップ白鳥の湖」を見たときを上回る衝撃でした。

熱に浮かされたような心持ちで、楽しみにしていた本格的なシーズンイン。そこへ、今度はケガのニュースが飛び込んできました。右ひざの前十字靭帯と半月板の損傷。そのシーズンの試合はすべて欠場することに。私個人のことをいうと、韓国開催のファイナルを見に行く可能性も考え、パスポートの用意もしていたのですが…。結局、3年目の大半は、彼の復帰を待つことに費やされました。

そして、4年目。ついにバンクーバー五輪のシーズンがやってきました。あのシーズンも、わずか半年の間にいろいろなことがありました。フィンランディア杯では復帰を喜び、NHK杯では不安に陥り、スケカナでは希望を取り戻ました。代々木のファイナルでは、SPで歓喜に沸いたもののフリーでミスが出て5位。その時点で、とにかくありのままを受け入れようと腹をくくりました。そして、なみはやの全日本。バンクーバー五輪までの2か月、信じて待とうと思いました。

結果として、バンクーバー五輪では銅メダル、世界選手権では金メダル。どちらも、日本人男子としては初めての快挙でした。これだけのことがトリノ五輪からの4年間にあったなんて、こうして駆け足で振り返ってみても、本当に信じられないような思いです。
(続く)
by noma-igarashi | 2019-05-08 23:18 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)

神宮外苑リンクのエキシビション

今日は、明治神宮外苑アイススケート場へエキシビションを見に行ってきました。このリンクで練習する選手たちによる、30分程度のエキシビションです。入場料は310円とお得な設定。9:30入場、10:00開始という、10連休の最終日にツライ時間設定でしたが、明日からの仕事のことを考えると、身体を慣らすのにちょうどよかったかも?

会場に着いたのは9:15ごろ。すでに建物の外まで行列ができていました。去年より混んでいるようだったので、人の頭越しに見ることになるかもしれないと思いましたが、そんなこともなかったです。正面サイドは無理でしたが、ロングサイドの中央部に潜り込めました。これなら去年よりも見やすいです!

子どもたちの教室のあと、ザンボタイム。その後、出演者の事前練習があり、エキシビションが始まりました。

神宮アイスメッセンジャーズ
会場に着いたとき、外で陸上練習をしていました。シンクロも見ごたえがありますよね。
ぜいたくな悩みではありますが、リンクサイドで観戦していると、3グループぐらいに分かれて演技するときにどこを見ればいいのやら。シンクロの観戦は、リンク全体を見渡せる席のほうが向いていそうですね。
リフトはもちろん見ごたえがあるのだけど、2グループに分かれた状態で列になり、すれ違う技がすごく難しそうに思いました(うまく説明できたか自信がないので、図にしてみました)。実際、二度目にこの技をしているとき、接触したのか1人が転倒。ちょっと残念でしたが、やはりそれだけ難しい技なのでしょうね。いろんな動作が散りばめられていて、最初から最後まで見ごたえ十分でした。
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柴田嶺さん
成美ちゃんとのペアを解消した後、現役続行を表明していた嶺君ですが、結局は引退。今は神宮のリンクでインストラクターをしているんですね。シングルでの滑りを見るのは久しぶり。成美ちゃんとペアを組んでいたときは、たくましさが際立っていましたが、またエレガントなスケーターに戻っていました。ジャンプは2Aをきれいに着氷。ビールマンスピンはさすがになかったですが、相変わらずカッコよかったです。

住吉りをん選手

全中で優勝したりをん選手。プログラムは「ロシュフォールの恋人たち」。ジャンプ構成からすると、フリープログラムじゃないかと思うんだけど、18-19シーズンのフリーは「白鳥の湖」でしたよね。もしかして、新シーズンのプログラム?
冒頭の3F-3T(多分)をはじめ、すべてのジャンプ成功! 3連続も、最後に跳んだ2A-3T(多分)も、クリーンな着氷でした。全中優勝で、ひと回り大きくなったのかな。勢いに乗っているという印象でした。

樋口新葉選手
スタートの位置についてポーズを取ったのに、なかなか曲が流れず。何かトラブルがあったようで、仕切り直して、もう1回。それもちょっとスムーズに行かなかったですが、ともかくは演技スタート。冒頭のジャンプ(3Lzかな?)はちょっと着氷が乱れてしまいました。ただ、事前練習ではどのジャンプも成功させていたので、心配いらないと思います。2Aはきれいに決まりました。
これはEXナンバーなのかな? 曲名は長くて聞き取れず(英語のタイトルでした) 大人っぽい雰囲気のプログラムでした。衣装は黒で、右肩が露出したデザイン。髪型も、お団子の位置がこれまでと違うのか、いつもより大人っぽく見えました。もう大学生だものねえ。
by noma-igarashi | 2019-05-06 16:35 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)

フィギュアを通して平成を振り返る⑥

平成と令和をつなぐ企画として、連休中ののんびり書けたらいいなと思って始めたのが、だんだん長くなってきてしまいました。この調子では、まだしばらく続きそうです。

さて、トリノ五輪のことも少し書いておきますね。
トリノ五輪が行われたのは、平成18年(2006年)2月10日から26日にかけて。
事前番組に出演したダイスケが、「2月14日は何の日?」と聞かれて、「バレンタインデー」と答えたところ、正解は「トリノ五輪 男子フリーの日」だった、なんていうエピソードもありましたよね。私は見逃してしまい、後になってYouTubeで見ました(そう、この時期はYouTubeがいっきに広まった時期でもありましたよね。画期的で、すごく便利になりました)。

トリノ五輪、男子はプルシェンコ選手が無事に金メダルを取れたことにひと安心。4年間、長かった~。高橋大輔選手については、まだファンというわけではなく、日本人選手だから応援するという状態でした。年末のファイナルで3位だったので、あわよくばメダルが取れるかも…という期待もありましたが、結果は8位。残念でしたけど、「まあ仕方ないかな」という感じの受け止め方でした。

女子は、なんと荒川静香選手が金メダル! もちろん、すごくうれしい出来事ではありましたが、別の見方をすると、イリーナ・スルツカヤ選手が金メダルを逃した五輪でもありました。それまで常勝を続けていたのが、年末のファイナルで浅田真央選手に敗れ、五輪でも優勝できず。今思うと、ソチ五輪のパトリック・チャン選手とよく似た展開でしたね。

ファイナルで浅田真央選手の優勝に沸き、トリノ五輪で荒川静香選手の金メダルに沸き、このシーズンは間違いなく日本でフィギュアスケートが注目され、話題になり、いっきに人気が高まったシーズンでした。

1か月後に行われた世界選手権では、織田信成選手が4位に。男子の枠を2枠に増やしてくれたおかげで、次のシーズン、東京で開かれる世界選手権が俄然、楽しみになりました。
(続く)
by noma-igarashi | 2019-05-05 12:58 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)

フィギュアを通して平成を振り返る⑤

やっとダイスケの名前が登場したせいか、④になって急にアクセス数が増えました。気がつくと、③と④の間に改元され、令和になりましたね。皆さま、令和も引き続きよろしくお願いします。

というわけで、トリノ五輪シーズンまで話が進みました。ファイナルや全日本の感想を書いたほうが盛り上がるかもしれないですが、ちょっとひねくれて、今回は別の視点から書いてみたいと思います。そもそも、ファイナルや全日本の感想は、当時、このブログに書いているんですよね。よかったらぜひそちらをご覧ください。「続きを読む」以下にリンクを張ってみました。

そうなんです、このブログ、トリノ五輪シーズンが始まった平成17年(2005年)には開設していました。その年の夏にスタートしたんですよね。この記事のタイトルの「平成を振り返る」に焦点を当てると、平成の30年間は、ネット事情がどんどん進化していった時代でもありました。私個人のことをいうと、平成4年(1992年)のアルベールビル五輪のころは、まだワープロしか持っていなかったです。平成10年(1998年)の長野五輪の年に、やっとパソコンを購入。

ただ、インターネットが使えるようになったからといって、フィギュアの情報がどんどん入ってくるようになった、なんてことはなかったです。ネット上で「フィギュア」という文字を見かけ、「お!」と思ってクリックしても、たいていは別のフィギュアだったし…。そう、スケートではないほうの「フィギュア」という言葉、ちょうどこのころに流行り始めたんですよね。おかげで、がっかりすることが多かったです。

トリノ五輪シーズンになり、私自身もブログを開設しましたが、あの時期はブログがまだ目新しく、始める人が多かったです。トリノ五輪が近づいてくると、ブログにフィギュアのことを書く人も多くなったし、私のほうでもそういうブログを積極的に探すようになり、フィギュアの話題にふれる機会が多くなっていきました。

ちなみに、トリノ五輪のことも話題にしてしまうと、このブログを開設して約13年。その中で、1日のアクセス数が最も多かったのは、忘れもしない平成18年(2006年)年2月24日。そう、荒川静香選手が金メダルを取った日なんです。なんと、その1日で1,000アクセス! 具体的には、その1か月ほど前にアップしていたこの記事「荒川静香選手とトゥーランドット」にアクセスが集中しました。

そんなにもアクセスがあったのは、後にも先にもあのときだけ。このブログにそれだけアクセスがあるなんて、当時はフィギュアのことを書いているブログがそれだけ少なかったということでしょうね。

ただ、わずか1日でそれだけのアクセス数を集めたことより、あの時期うれしかったことは、このブログのコメント欄、あるいは私のほうから訪問したブログのコメント欄を通じて、今につながるフィギュアの友人ができていったこと。あのトリノ五輪シーズンは、少ない情報を頼りに自分ひとりで応援していたものが、ファン同士で情報を交換し合い、横につながりながら応援するという新しいスタイルへと移っていった時期でもありました。
(続く)

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by noma-igarashi | 2019-05-03 23:31 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(4)

フィギュアを通して平成を振り返る④

ソルトレークシティ五輪の1か月後、平成14年(2002年)3月16日から24日にかけて、長野で世界選手権が開催されました。実をいうと、当時の私としては、「あれ? 五輪があったばかりなのに、また大きな試合があるんだ」というふうな認識でした(汗)。このときは日本開催だったから、テレビでも放送されたし、事前に宣伝もさかんにしていたんだけど、海外で試合があるときは、私程度のゆるいファンには、世界選手権なんていつやっているんだかよくわからない状態。

それよりは、グランプリシリーズとグランプリファイナルのほうがなじみ深かったです。なので、ファイナル優勝に、世界選手権優勝と同じぐらいの価値があるように受け止めていました。「でも、グランプリシリーズだけだと、年内で試合が終わっちゃうからつまらないじゃない」と思われるかもしれませんが、ファイナルって、かつては1月とか2月に開催していたんですよね(確認したら、今のように12月に開催されるようになったのは、2003-2004年シーズンからでした)。

さて、そのときの長野ワールドですが、1か月前のソルトレークシティ五輪で銀メダルに終わったプルさんは欠場。そのため、私としては興味が今ひとつだったのですが、そうはいってもテレビで放送していたので、見られるものは見ていました。すると、エキシビションに登場したのが、世界ジュニアで優勝したばかりの高橋大輔選手。当時、まだ高校1年生だったんですよねえ。「ジュニアとはいえ日本人で優勝するなんてすごい!」と思い、「シニアに上がってきたら応援しなくっちゃ!」と思いました。

そんなわけで、この時期、トリノ五輪につながる若手選手たちの中で、私が真っ先に名前を知ったのがダイスケでした。次が、恐らくは安藤美姫選手だったと思います。ジュニアのファイナルで4回転サルコウを成功させたとき、ニュースになっていたので。平成14年(2002年)のファイナルだから、ダイスケを知ったのと同じ年ですね(シーズンとしては翌シーズン)。これまた「すごい!」と思いました。

浅田真央選手のことを知ったのは、いつだったか。お正月にテレビを見ていたら、「今後の活躍が期待される選手」として、舞選手ともども取り上げられていたのだったと思います。これまた、「シニアに上がってきたら応援しなくっちゃ!」と思いました。

そんなこんなの断片的だった情報やら選手たちやらが、怒涛のごとくいっきに押し寄せてきたのが、平成17年(2005年)、トリノ五輪シーズンが始まった秋のことでした。まず、「シニアに上がってきたら応援しなくっちゃ!」と思いながらも、あまり名前を聞く機会がなかった高橋大輔選手がスケートアメリカで優勝。

「おお、ついにブレークしたんだ!」などと思っていると(注:「ブレークする」という言い回しは当時まだ存在しませんでしたが)、スケートカナダ、中国杯、エリック・ボンパール(フランス大会)、ロステレコム(ロシア大会)、そしてNHK杯と、日本人選手が次から次へと表彰台に。織田信成選手、浅田真央選手、安藤美姫選手、中野友加里選手といった若手のほかに、荒川静香選手、村主章枝選手、恩田美栄選手もメダルを取っていました。

その結果、ファイナルに出場できる6選手のうち、男子は2選手(高橋大輔選手、織田信成選手)、女子は3選手(浅田真央選手、安藤美姫選手、中野友加里選手)が日本人という驚きの展開に。しかも、そのシーズンのファイナル開催地は、東京・代々木体育館。「見に行かなくちゃ!」と思って、慌ててチケットを取りました(2週間前でしたが、そのシーズンはまだ取れました)。
(続く)
by noma-igarashi | 2019-05-02 22:55 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)

フィギュアを通して平成を振り返る③

平成10年(1998年)の長野五輪の次は、平成14年(2002年)のソルトレークシティ五輪。前年には9.11もありました。そのため、ソルトレークシティ五輪は警備が厳しく、手荷物検査でタイツを紛失したサーシャ・コーエン選手が村主章枝選手から借りた(そしてそのまま返さなかった)なんていうエピソードも。

ソルトレークシティ五輪までの4年間、私が応援していたのは、男子選手ではエフゲニー・プルシェンコ選手。強かったし、いかにもロシアの男子選手という雰囲気が好きでした。何より、NHK杯によく出ていたから、演技を見る機会が多かったというのも大きいです。それから、アイスダンスのアニシナ・ペーゼラ組。彼らもNHK杯によく出ていました。アニシナ姐さんのカッコよさ、ペーゼラの麗しさにメロメロでした。

ただ、NHK杯で常勝していたこの2組(1人と1組)の明暗が分かれたのが、ソルトレークシティ五輪でもありました。どちらも、「宿命のライバル」とでもいうような存在がいましたよね。プルシェンコ選手に対しては、アレクセイ・ヤグディン選手。アニシナ・ペーゼラ組に対しては、ロバチェワ・アベルブフ組。

プルさんとヤグについては省略しますが(有名と思うので)、アニシナ・ペーゼラ組とロバチェワ・アベルブフ組がなぜに「宿命のライバル」かというと…。アニシナ・ペーゼラ組(①とします)、ロバチェワ・アベルブフ組(②とします)のうち、ジュニア時代は、アニシナ(①の女性)とアベルブフ(②の男性)がカップルを組んでいたんです。で、90年、92年と、世界ジュニアで二度も優勝。

ところが、アベルブフ(②の男性)がロバチェワ(②の女性)と恋に落ち、アニシナ(①の女性)とのカップルを解消。93年にロバチェワ(②の女性)と新たなカップルを結成してしまいます(2年後には結婚も)。

一方、パートナーを失ってしまったアニシナ(①の女性)は、フランス人のペーゼラ(②の男性)に手紙を書き、カップルを組むに至ります。フランス国籍も取得して、五輪にも出場(長野五輪にもアニシナ・ペーゼラ組として出場して、そのときは銅メダル)。ソルトレークシティ五輪では、アニシナ・ペーゼラ組が金メダル、ロバチェワ・アベルブフ組が銀メダル。どちらの演技も本当に素晴らしくて、なんともドラマチックな展開でした(ちなみに、こうしたエピソードは新聞の五輪特集みたいな記事で読みました。当時はそれぐらいしか情報源を持っていなかった・・・)。

さて、アイスダンスはアニシナ・ペーゼラ組が優勝して、私としてもすごくうれしかったのですが、その前に行われた男子の試合では…。プルシェンコ選手、SPの4回転でまさかの転倒。フリーで巻き返すも、まさかの銀メダル。この試合は本田武史選手も出場していて、プルさんがコケたこともあり、SPではなんと2位に! しかし、フリーでは若干のミスもあり、最終的には惜しくも4位。

ただ、タケシの4位を悔しいと思うより、当時はとにかくプルさんの2位がショックでショックで(すまん)。前にも書いたけど、当時は日本人がメダルを取れるなんて思ってもみなかったから、「ま、仕方ないよね」と受け止めていたところもあるですよね。

そんなわけで、プルさんの銀メダルが悔しくて、ショックで、残念で、早いとこ4年後にならないかな、次こそは金メダルを取ってほしいな、などと思っていました。しかし、4年後、フィギュアを取り巻く日本の状況は大きく変わっていました。
(続く)
by noma-igarashi | 2019-04-30 16:07 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)

フィギュアを通して平成を振り返る②

リレハンメル五輪の次は、平成10年(1998年)の長野五輪。リレハンメルでキャンデロロ選手のファンになり、応援する選手ができたことで、4年後も興味が持続していました。それに、なんといっても自国開催の五輪ですから、いやでも注目度が高まるというもの。聖火リレーも見ましたよ。ちょうどお昼休みの時間帯に、当時の勤め先の近くを通ったので。

キャンデロロ選手、開会式ではフランスチームの旗手を務めていましたっけ。選手としてはもうピークを過ぎてしまったかなという印象だったので、旗手だったことだけでもうれしかったのだけど、ほかの選手のミスもあって、なんと銅メダル! フリーの「ダルタニアン」、カッコよかったです~。

このときは、五輪直後に代々木で開催された東京エキシビションも見に行きました。今でも一緒に観戦することがあるリアル友だちに誘ってもらい、2階席で観戦。あの「ダルタニアン」を生で見られたのは本当にいい思い出です。

今、「リアル友だち」などと書きましたが、長野五輪の開催は平成10年(1998年)で、今になって思うと、Windows98が発売された年でもあるんですねえ。つまり、そろそろパソコンが一般家庭に普及し始めた時代だったな、と。私自身も、この年に今のマンションに引っ越してきて、インターネットを使える環境になったこともあり、パソコンを購入しました。

今は、フィギュアの情報を得ようと思ったら、パソコンやスマホでネットにつなげば一発ですが、長野五輪のころはまだまだそんな状態じゃなかったです。ネット環境もまだそんなに整っていなかったし、日本におけるフィギュア人気もまだまだまだまだ。長野五輪に出場した日本人選手のうち、本田武史選手は期待の若手として知られていましたが、女子の荒川静香選手については、私は名前も知らないありさま(汗)。

男子にしても女子にしても、日本人選手が五輪でメダルを取るようになるなんて、ほんと、まったく、1ミリも、想像すらしていなかったです。平成14年(2002年)のソルトレークシティ五輪はもちろん、平成17年(2005年)にトリノ五輪のシーズンが始まったころもまだ、個人的には外国の選手ばかりに注目していました。
(続く)
by noma-igarashi | 2019-04-28 19:05 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)


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