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111.31KV620日記


オペラ、フィギュアを中心に、そのとき興味のあることがらを話題にしています。
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フィギュアを通して平成を振り返る⑩

「フィギュアを通して平成を振り返る」も今回で10回目、これが最終回になります。⑨を書いた時点では、「最後はあの話題にしよう!」と決めていたのですが、いざ書こうとすると、迷う気持ちが頭をもたげてきました。何でもかんでもブログの話題にしていいものか、といいますか。それもあって、少し日にちが経ってしまいました。

最終回に書こうと思ったのは、友だちのことです。もしも自分が逆の立場だったら、どうだろう。そう考えてみて、「いいんじゃない?」と思えたので、GOサインを出しました。

 *
平成23(2011)年から平成27(2015)年にかけて、わが家の年賀状はこんな内容にしていました。
→2011年全文はコチラ
2010年にうれしかったこと:大ちゃんのオリンピック銅メダル
2011年に楽しみにしていること:3月のフィギュアスケート世界選手権の生観戦


→2012年全文はコチラ
2011年に残念だったこと:3月末に東京で開催予定だったフィギュアスケート世界選手権の中止
2012年に楽しみにしていること:フィギュアスケート公式戦世界初となる高橋大輔選手の4回転フリップ成功 


これを見て、昔の友人から久しぶりに連絡があったのが、平成24(2012)年のはじめのこと。彼女が言うには、突如として(まるで恋に落ちるように?)羽生結弦選手のファンになったのだとか。ただ、フィギュアの話ができる友だちが身近にいないので、「ぜひ会って、心ゆくまで語り合いたい!」というのです。あらまー。あの聡明な彼女がそんなことになっているとは。当然、二つ返事でオーケーし、会う日取りを決めました。

平成24(2012)年のはじめというと、ゆづがシニアに上がって2年目のシーズン。ソチ五輪の前だし、まだオーサーにも師事していないころですね。プログラムでいうと、「皆殺しロミオ」のころのこと。友だちも、あのプログラムにやられたみたいでした。

私がその友だちと知り合ったのは、20代の半ば、語学学校アテネフランセの夏期講習のことでした。ほどよい人数で、みんなが友だちになりやすい雰囲気のクラスでした。実をいうと、私と現在の配偶者ジョルジュ(仮名、日本人)が初めて出会ったのも、そのクラスでした。夏期講習が終わってからも、たまにみんなで集まって飲んだりしていたのですが、いつかそれもなくなり、平成24(2012)年当時は年賀状をやり取りするだけの間柄になっていました。

そんなわけで、彼女とは私だけでなくジョルジュ(仮名、日本人)も友だちだったので、久しぶりに会ったときは、ジョルジュも一緒でした。3人とも歳が近いこともあり、同窓会のノリでした。フィギュアのおかげで、友だちづきあいの第2ステージが始まった感じで、こんなこともあるんだなと、うれしく思いました。

さらにいえば、そのときは震災の翌年で、気持ちの上でまだその影響を強く引きずっている時期でした。こうして昔の友だちとまたつき合うようになり、「人生って面白いな」と思えたのは、素直にうれしいことでした。

彼女と再会してほどなく、ゆづはニースの世界選手権で銅メダルを獲得。彼女は「フランス開催だし、思いきって見に行こうかとも思ったんだけど、その時期は仕事が忙しくてダメだったの」と話していました。夏期講習でフランス語を習っていたころ、まさか将来、彼女がそんな理由でフランスに行きたいと言い出すなんて想像もしていなかったです。

そのシーズンが終わると、ゆづは仙台を離れ、オーサーのもとへ。名コーチの指導を受け、どんどんビッグになっていきましたよね。特に、新シーズンのSP「パリの散歩道」は衝撃的でした。なんといっても振り向きざまの3A! あんなことができるんだと吃驚しました。

「パリ散」の威力はすごいものがあり、まずはスケアメでSP歴代最高得点(当時)の95.07点をマーク。そして、続くNHK杯では、その記録を自ら更新する95.32点。このときはダイスケを抑えて優勝を果たし、ダイスケファンとしてはちょっと複雑なところもありましたが、ともに出場したファイナルではダイスケが優勝、ゆづが2位。そして、年末の全日本ではダイスケが2位で、ゆづが初優勝。このときの全日本、私はテレビ観戦でしたが、友だちは札幌まで出かけて現地観戦したそうです。

この全日本の結果を受けて、4月に開催される国別対抗には、ゆづとダイスケが出場することになっていたと記憶しています。そんなわけで、一緒に観戦しようという話になり、彼女と私、そしてもう1人、私のリアル友だちの3人でチケットを購入。見に行くのを楽しみにしていました。

ところが、年が明けてしばらくしたころ、彼女からメールがあり、病気が見つかったので入院することになった、というのです。ちょっと心配でしたが、入院中もメールが届き、病院でも看護婦さんを相手にゆづの話をしているとのことで、そんな様子なら大丈夫だろうな、と思いました。

大阪開催の四大陸では、ゆづは2位(このときの優勝はケビン、ダイスケは7位)、世界選手権では4位(優勝はパトちゃん、ダイスケは6位)。このころになって、ゆづは国別対抗に出場しないことになったのだったと思います。ただ、友だちの入院も長引いていて、結局、彼女が国別対抗を見に来ることはかないませんでした。

国別対抗が終わり、1カ月ほど経ったころだったと思います。ある夜、ケータイに彼女からメールが届きました。ただ、見てみたところ、そのメールは彼女のアドレスから送信されたというだけで、彼女が送信したものではありませんでした。彼女の家族、あるいは近しい知り合いの誰かが、彼女のケータイに登録されているアドレス宛てに、一斉に送信したのだと思います。メールの内容は、彼女が亡くなったことを伝え、通夜と葬儀の日時を知らせるものでした。

まさか、そんな。入院して、4カ月しか経っていないのに。年末には元気で、札幌まで全日本観戦に行っていたのに。久しぶりに再会してまだ、1年しか経っていないのに。フィギュアのおかげで友だちづきあいの第2ステージが始まり、これからもっともっといろんな話ができると思っていたのに。

お通夜には、ジョルジュ(仮名、日本人)と一緒に行ってきました。大勢の人たちが彼女とのお別れに来ていました。

彼女が亡くなったのは、平成25(2013)年5月。ゆづがソチ五輪で金メダリストになったことも、平昌五輪で2連覇したことも、国民栄誉賞を受賞したことも、彼女は知らないままでした。

ゆづの演技を見ていると、彼女のことをよく思い出します。ただ、いつかはゆづも現役を引退する日が来るでしょう。そうなったとき、彼女との思い出もどこかへ行ってしまいそうで、やるせなくなります。彼女のことを覚えていたい。つたない文章ながら記録しておきたい--。この最終回は、そんな気持ちで書きました。
by noma-igarashi | 2019-06-01 00:14 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(0)
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