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なんか、トリノからバンクーバー五輪までの4年間のことを書いたら、燃え尽きちゃった感がありますが、この時点ではまだ平成22年(2010年)。「フィギュアスケートを通して平静を振り返る」というタイトルですから、もう少し書いていきたいと思います。
こうして振り返ってみると、日本でのフィギュアスケート人気は、アルベールビル五輪(平成最初の冬季五輪)の伊藤みどり選手に始まり、平成の30年間を通して盛り上がっていったことがよくわかりますね。アルベールビルからトリノまで、少し空白期間があったようにも見えるかもしれませんが、私のように、アルベールビルをきっかけにフィギュアへの興味をつないでいった人もいるでしょうし、伊藤みどり選手にあこがれてフィギュアを始めた子たちもいるでしょう。 それに、日本スケート連盟が若手選手を育成するべく、野辺山合宿(全国有望新人発掘合宿)を開くようになったのも、アルベール五輪での伊藤みどり選手の活躍(と苦労)が背景にあったからだと聞きました。伊藤みどり選手はたった1人で世界の選手に立ち向かっていったから、それだけプレッシャーも大きかった。大勢の有望選手を育成すれば、プレッシャーが分散されることで、いい結果につながりやすいだろうと。 実際、物事はそのように進んでいきましたよね。日本でフィギュアの人気がいっきに高まったのは、トリノ五輪シーズン、浅田真央選手のファイナル優勝が大きかったけれど、浅田選手は年齢制限でトリノ五輪に出られず。その代わりに、野辺山合宿の1期生だった荒川静香選手が金メダルを獲得し、フィギュア人気を確実にバンクーバー五輪へとつないでくれました。 荒川静香選手は同世代に村主章枝選手がいたし、それ以降の選手たちにも、同じ時期に活躍する好敵手が国内にいました。浅田真央選手には安藤美姫選手がいたし、高橋大輔選手には織田信成選手がいました。羽生結弦選手は、ソチ五輪のころまでが高橋大輔選手、それ以降は宇野昌磨選手かな? 互いに競い合い、高め合っていける存在が身近にいたことは、選手にとっても貴重だったと思うし、フィギュア全体としても、1人の選手の人気に頼るのではなく、強い選手が大勢いる魅力的なスポーツとして、人気が定着していく原動力になったと思います。 こんなふうに、国内に複数の有望選手がいてよかったなと思うことはたくさんありますが、「平成を振り返る」というテーマでぜひ挙げておきたいのが、平成23年(2011年)の世界選手権で安藤美姫選手が二度目の優勝を果たしたことです。ご存じのように、このシーズンの世界選手権は東京・代々木体育館で開かれる予定でした。しかし、大会を間近に控えた3月11日、東日本大震災が勃発。それによって原発事故が起こり、東京大会は中止を余儀なくされました。そして、1か月後にロシアのモスクワで代替試合が開催。 このシーズン、浅田真央選手はジャンプの矯正に取り組んでおり、世界選手権で優勝するのは厳しそうな状態でした。そして、実際にも6位どまり。村上佳菜子選手はシニア1年目で、健闘したものの8位。 一方、男子は高橋大輔選手がディフェンディングチャンピオンで、調子も悪くなかったですが、世界選手権の開催が1か月延期になったことでスケート靴の調整がうまくいかず、演技中に靴のアクシデントが発生。そのせいで、残念ながら5位。織田信成選手は6位。いちばん活躍したのが小塚崇彦選手でしたが、パトリック・チャン選手の初優勝を阻むことまではできず、2位(ちなみに、羽生結弦選手はまだシニア1年目で、代表入りを果たせず)。 そんな日本の選手の中にあって、キム・ヨナ選手やカロリーナ・コストナー選手を抑え、実に4年ぶりの優勝を果たしたのが安藤美姫選手でした。東日本大震災、そして原発事故のショックからまだ立ち直り切れていない中、中止になった日本大会の代替試合で、日本の選手が優勝。しみじみとうれしく思いました。 1人がだめでも、誰かが活躍してくれる。日本勢に有力選手がひしめくようになったことで、そういう試合は枚挙にいとまがなくなりましたが、そんな中でも、あのときの世界選手権は忘れられない試合のひとつです。 平成が令和に代わるとき、「平成は戦争のない、いい時代だった」というような声をよく耳にしました。確かに日本国内で戦争はなかったけれど、阪神大震災(平成7年)、東日本大震災(平成23年)という大きな災害が二度もありました。特に東日本大震災では、東京電力福島第一原子力発電所の事故まで起こりました。震災も原発事故も、自分が生きている間にそんなことが起きるとは思ってもみないような出来事でした。元号が変わったからといって、安易に忘れてはいけないと改めて思います。 (続く)
by noma-igarashi
| 2019-05-12 22:40
| フィギュアスケート
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Comments(2)
Commented
by
Disney 鴨
at 2019-05-13 21:58
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こんばんは。お久しぶりです。元号が変わりましたが、令和も宜しくお願いします。
野辺山合宿は、Nomaさんが仰るように、有力選手を多くすることで、選手にかかるプレッシャーを分散させるのが目的でしたが、世界選手権の枠が上位2選手の順位で決まる今となっては、野辺山合宿で、有力選手を多くしたことで、世界選手権の枠取りが、有利になったように思えます。令和では、この野辺山合宿から、どのような有力選手が出て来るのか、楽しみにしています。
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Commented
by
noma-igarashi at 2019-05-14 00:03
こんばんは! ①~④あたりまでに書いたように、私はトリノ五輪のころまで日本人選手にあまり関心がなかったため、野辺山合宿のことも、ネット上に友だちができるまで知らないような状態でした。
まず女子で効果が表れ、それが男子にも波及していったという感じなんでしょうね。ソルトレークシティ五輪のころ、本田武史選手にも国内に実力の拮抗したライバルがいたら、五輪の結果も違っていたかもしれないな、などと思ってみたり。 日本の出場枠、トリノ五輪シーズンこそ男子は1枠でしたが、女子は3枠だったし、それ以降は男女とも、たまに2枠に減ってもすぐに3枠に戻せるのが頼もしいですよね。
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