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111.31KV620日記


オペラ、フィギュアを中心に、そのとき興味のあることがらを話題にしています。
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フィギュアを通して平成を振り返る②

リレハンメル五輪の次は、平成10年(1998年)の長野五輪。リレハンメルでキャンデロロ選手のファンになり、応援する選手ができたことで、4年後も興味が持続していました。それに、なんといっても自国開催の五輪ですから、いやでも注目度が高まるというもの。聖火リレーも見ましたよ。ちょうどお昼休みの時間帯に、当時の勤め先の近くを通ったので。

キャンデロロ選手、開会式ではフランスチームの旗手を務めていましたっけ。選手としてはもうピークを過ぎてしまったかなという印象だったので、旗手だったことだけでもうれしかったのだけど、ほかの選手のミスもあって、なんと銅メダル! フリーの「ダルタニアン」、カッコよかったです~。

このときは、五輪直後に代々木で開催された東京エキシビションも見に行きました。今でも一緒に観戦することがあるリアル友だちに誘ってもらい、2階席で観戦。あの「ダルタニアン」を生で見られたのは本当にいい思い出です。

今、「リアル友だち」などと書きましたが、長野五輪の開催は平成10年(1998年)で、今になって思うと、Windows98が発売された年でもあるんですねえ。つまり、そろそろパソコンが一般家庭に普及し始めた時代だったな、と。私自身も、この年に今のマンションに引っ越してきて、インターネットを使える環境になったこともあり、パソコンを購入しました。

今は、フィギュアの情報を得ようと思ったら、パソコンやスマホでネットにつなげば一発ですが、長野五輪のころはまだまだそんな状態じゃなかったです。ネット環境もまだそんなに整っていなかったし、日本におけるフィギュア人気もまだまだまだまだ。長野五輪に出場した日本人選手のうち、本田武史選手は期待の若手として知られていましたが、女子の荒川静香選手については、私は名前も知らないありさま(汗)。

男子にしても女子にしても、日本人選手が五輪でメダルを取るようになるなんて、ほんと、まったく、1ミリも、想像すらしていなかったです。平成14年(2002年)のソルトレークシティ五輪はもちろん、平成17年(2005年)にトリノ五輪のシーズンが始まったころもまだ、個人的には外国の選手ばかりに注目していました。
(続く)
by noma-igarashi | 2019-04-28 19:05 | フィギュアスケート | Trackback | Comments(2)
Commented by しょう at 2019-06-19 15:29 x
キャンデローロは、面白かったですよねー。
EXでは国旗の衣装来て場外から登場して、走り回ったり。
あの時実況のアナウンサーが「すごい人気ですね」と言った後のみどりさんの返しが、「ただ走ってるだけなんですけどね。」と言っていたのがすごく可笑しかったのを覚えてます。
今のように表現力も重視されるようになったのは、この人がいたからと言っても過言ではないと思います。

長野オリンピックは残念ながらちょうど海外にいて、ほとんど見れませんでした。
日本に帰って数年たってから友達に録画してもらったのを見たのですが、なぜかキャンデローロのところだけ、現地で偶然見ました。一緒に見た外人が「騎士みたいだね。」と言っていたのを覚えてます。
後で録画で見ても、ダルタニアンはやっぱりかっこいいですね。
カナダのストイコも好きだったスケーターの一人です。ちょっと変な日本語が書いた衣装とか着てましたね。(ライーヨーって??と当時思いました)
長野ではケガを押して出場して、演技が終わったとたん痛そうな表情を見せてたのが、よく頑張った!とウルウルきました。
そして、クーリックがいかにも正統派の王子様っぽかったので、やっぱりここでもロシアの正統派が強いんだなあと思いました。

女子はやっぱり、リピンスキーとクワンの対決が見どころでしたが、今問題になっている女子の低年齢問題も、このリピンスキーがギリギリのラインでしたね。
私はリピンスキーのSPのアナスタシアが好きなので、あの年齢だから出来る曲だったから、まあいいかなと思ってました。
そういえば、友達がCMも録画してくれていて、IBMのリアシェンコのCMが好きでした。

日本は男女ともにまだまだメダルを取れるような時代ではなかったので、私も外人選手ばかり注目してました。
本当にまさかこの後、日本人の金メダリストが出る日が来るとは・・・という感じでしたね。
Commented by noma-igarashi at 2019-06-20 19:08
長野五輪のころは、ホント、日本人がフィギュアで金メダルを取るような時代が来るとは思ってもみなかったですよね。「クワンもリピンスキーもアメリカの選手なんだ。同じ国の選手が金メダル争いをするなんて、すごいな~」などと思っていました。

この記事にも書いたように、私、長野五輪の東京エキシビションを見に行きました。多分、本田武史選手や荒川静香選手も出場していたと思うのだけど、ほとんど記憶なし。それよりも会場がひときわ湧いたのは、清水宏保選手を初めとするスピードスケートの日本人メダリストがゲストで登場したときでした。あのころは、日本人のスケート選手というと、圧倒的にスピードスケートのほうでしたよね。

そういえば、このときの東京エキシビションの会場は代々木体育館。ここは私にとって、フィギュア生観戦の歴史(というほど大げさでもないですが)が始まった場所でもあります。昨日の発表によると、今年の全日本は代々木開催だとのこと。どんな席でもいいので、ぜひまた生観戦したいです(チケット争奪戦がすごいことになりそうですが…)。
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