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111.31KV620日記


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三鷹の廃線跡(その2)

前にも書いたように(もう2か月も前になってしまいました)、三鷹には2本の廃線跡があり、どちらも遊歩道になっています。前回はそのうちの1本、短いほうをご紹介したので、今回はもう1本、長いほうの廃線跡をたどってみることにしました。

三鷹駅の北口を出て、JR中央線の線路沿いに西(武蔵境方面)に向かって歩いていきます。すると、まずはこのような陸橋があります。古くからある陸橋らしく、このそばで太宰治も写真を撮っています(こちら)。
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陸橋の脇を通り過ぎると、公園の入り口が見えてきます。堀合児童公園といって、ここが廃線跡の入り口になります。JR中央線から枝分かれし、全長3.2キロの支線が走っていました。
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公園の藤棚をくぐると、遊歩道が始まります。線路跡らしく、うねうねと曲がりながら続いています。桜のきれいな遊歩道なので、春にはよく散歩に訪れています。
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信号を渡り、さらに進んでいきます。遊歩道はうねうねと続いています。遊歩道の右手は畑、左手は数年前に道路が整備されました。今のマンションに引っ越すまでは、この近くのアパートに住んでいました。
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遊歩道はやがて、玉川上水を越える橋に差し掛かります。ぎんなん橋です。この橋には、線路のレールが埋め込まれています。
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そもそも、ここにあった線路はどこに通じていたかというと、実は野球場だったんですね。1951年1956年にかけて、この近くには武蔵野グリーンパーク野球場というスタジアムがあったのでした。何でも、当時はまだ明治神宮球場がGHQに接収されていて、プロ野球の試合ができるのは後楽園球場しかないという状況。それで、終戦までここにあった中島飛行機武蔵製作所の工場の跡地に、新しい球場が建設されたのだとか。東京六大学や国鉄スワローズの試合が開催されていたそうです。支線の名前も「武蔵野競技場線」というものでした。
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ただ、このあたりは都心から30分ほどかかり、当時としてはかなり不便に感じられただろうし、地質があまり球場に向いていなかったらしく、コンディションがイマイチだったのだとか。そうこうするうちに、神宮球場の接収が解除されるわ、川崎球場などの新しい球場がほかにもできるわで、ほとんど使用されないまま、わずか5年で閉鎖されることになったのだとか。5万人も入る球場だったそうなのに、もったいない。

でもまあ、そのまま球場があったら、まちの雰囲気も今とは違っていただろうし、住みたいと思ったかどうかはわからないかもしれないですね。

中島飛行機武蔵製作所の工場の跡地は球場になったわけですが、本社の跡地はNTT武蔵野研究開発センタに、研究所の跡地は国際基督教大学(ICU)になっているそうで、地元民としては「へえ~」と思ってしまいます。
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遊歩道の途中に、「関前高射砲陣地跡」という表示があります。何が書いてあるのか読み取りにくいので、検索してみたところ、武蔵野市のHPにこんな説明が載っていました。

「中島飛行機武蔵製作所周辺には、米軍機の空襲に備えて、日本軍によって作られた高射砲や機関砲陣地がありました。高射砲とは地上から航空機を撃墜するための大砲で、関前付近には高射砲が6門、半円形に配置されていました。市内には、他にも、現在の成蹊大学や日赤武蔵野病院の敷地内に高射砲陣地が設けられていました」
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それを過ぎると、今度は関前公園に入ります。水遊びのできる小さめの公園です。
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遊歩道(廃線跡)はさらに続きます。武蔵野競技場線、全長3.2キロということでしたものね。ちなみに、途中駅はなく、三鷹駅を出て支線(武蔵野競技場線)に入ると、最初の駅にして終点が武蔵野競技場前駅だったそうです。つまりは、西武池袋線の豊島園駅みたいな感じかな?
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こんな表示もありました。「中島飛行機 武蔵製作所 引き込み線跡地」。ここまでに書いてきたような内容が説明されているようです。
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そして、武蔵野中央公園に到着! 遊歩道はここまでです。廃線跡もここが終点だと思っていたのですが、あとで調べたら、もうちょっとだけ先に続いているようでした。
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この地図の四角い緑の部分が武蔵野中央公園で、そこから上に伸びている細い道が遊歩道です。こうして見ると、いかにも線路跡らしい曲がり具合ですね。
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by noma-igarashi | 2017-11-25 23:10 | ノンジャンル | Trackback | Comments(0)
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